●今日、津市河芸町出身のジャグロンズサポーターの松田さんの紹介で、津市河芸町三行の米倉積(よねくらつもる)さんのところへお伺いし、幻の米、黒田米に関する貴重なお話しを聞いて来ました。ここでちょっと、米倉さんのプロフィールを紹介します。米倉さんは、昭和11年生まれ(昭和10年組)の70歳。農協で営農指導をされた後、河芸町の産業課の発足に伴い、農業現場に詳しいことから町の職員となり、20年間公職を務められました。河芸町史の編纂にも尽力されたことから、このたび取材をお願いし、ご快諾いただきました。
●黒田米は、旧黒田村で作られる米を指すとのこと。旧黒田村は、旧紀州藩領地である「南黒田」(ミナミクロダ)、「三行」(ミユキ)、それに旧藤堂藩領地である「北黒田」(キタクロダ)、「高佐」(タカサ)、「浜田」(ハマダ)、「赤部」(アカブ)の6つの地区からなり、これらの地区で作られる米を黒田米というそうです。粘りけの多い粘土質の田んぼで作られるコメは特に食味が良いのですが、旧黒田村の田んぼは、このような田んぼの割合が多く、このことがコメの味が分かる人たちに黒田米がおいしいお米の代名詞として使われるきっかけになったようです。黒田米は、江戸時代から各藩に珍重された歴史があるそうです。
●地元では、昔から、うるち米は「黒田米」、酒米は「一志米」といわれていたそうです。酒米は、主に「山田錦」が用いたれていたそうですが、うるち米については、米倉さんの知る限りでは、昔は、「朝日」という品種が作られていたそうです。しかし、この品種は、脱粒し易い問題点があり、「農林8号」、「農林29号」という早生品種が用いられた後、現在の「コシヒカリ」が用いられるようになったそうです。
●以上、今日は、黒田米の歴史や定義について取材しました。私は、良い物には「客観的な品質保証」、「作る人のもてなしのこころ」、「その品の持つ歴史や物語」以上の3つが兼ね備わっていると考えています。今日は、主に黒田米の歴史について紹介させていただきました。私は、ジャグロンズの活動の一つとして、生産者から良い物をまっすぐに消費者にお届けすることも重要で意味のある活動であると考えております。そのことは生産現場が元気良くなるような「産地ブランド強化事業」でもあると考えております。本物志向の「Jagrons」ブランドをこれから展開していきたいと思います。
●今日、私の取材におつき合いいただいた、松田さん、米倉さんありがとうございました。