●先日、氷川きよしさんを見て自分が直感的に感じたことをブログに書いたhttp://www.jagrons.com/archives/2008/09/post_366.html
そしたら、「あっちさん」という氷川きよしさんのファンの方からのコメントをいただいた。
●あっちさん、ありがとうございます。あっちさんは本当に氷川きよしさんが好きなんですね。
●人は、大きなポジションを与えられると、それを自分が変わったような錯覚に陥ることがあります。僕もそれに少し似た経験をしたことがあります。その重要なポジションから外れたときに、周りの人がどう反応するかは大きく二つに分かれるでしょう。一つは、急に人が離れていく場合、もう一つは、これまで以上に、人が集まってくる場合です。後者の場合は、そのポジションを活用して、より多くの人のためになる仕事をした場合だと思います。前者の場合は、そのポジションにあぐらをかいて、人からお世話になることを当たり前と感じ、感謝のこころを正しく相手に伝えることを怠った場合です。
●昨日、お昼にあるそば屋で食事をしました。店内は12時前後で大変混雑しています。僕は2人席に座りました。隣には4人席に一人でそばを食べている55〜65才くらいのおじさんがいます。そのおじさんはお店の常連さんらしく、「○○さん相席お願いね」とお店の人から頼まれました。そのおじさんの斜め前の席に、店員さんから連れられてきた「先生」と呼ばれる60才くらいのおじさんが座りました。なんか嫌々やってきて、知らんぷりして座ってます。僕はなんかすっきりしない感じがしました。
●なんで、先に座っている人に一言「失礼します」って言えないのかなあ。一言、言うだけで、その場は和むと思うのに。いくら先生でも、そば屋では、みんな同じ。単にそばを食べるお客の一人です。先生といわれる人なら、率先してそういうところまで自分の器を広げなければ世の中は良くならないと思います。
●たぶん恵まれた環境で育ってこられ、あまり他人にお世話になったことがないのでしょう。ちょっと、可哀想です。
●先生といわれる身分を与えられた人は、その人の器以上に大きな器を与えられた環境にあると認識して、自分を研鑽し続けなければならないと思います。氷川きよしさんのように。
●もしかして、シャイなだけかもしれませんが。。。だったら、シャイな人は先生にはなってはいけないと思います。先生は「人の先に立って生きる人」人の先に立つ人には、そういうことをちゃんと外に対して意思表示する責任があると思うのです。