★ジャグロンズのオリジナルブランド野菜シリーズ(※1)の3番手えび芋系サトイモ「サカエ1950」。

★このブランドが生まれるにあたってモデルになった人物がいる。

★それは、現在の安濃津農園の地主でもある津市分部(広永地区)の平松さかゑさんだ。

★今回は、「サカエ1950」にまつわる話と、その時代に関するいくつかの話題を取材した。

◆戦時中に入学した旧制中学校(現津高等学校)では、ほとんど授業がなくても、卒業を迎えてしまったというさかえさんが平松家に嫁いだのは昭和25年(当時17歳)のこと。

◆津市広永地区の平松家。さかゑさんは14代目にあたり、昭和の文化人で実業家でもある川喜田半泥子の戦時中の疎開先としての歴史をもつ。

◆この地区では、当時ズイキを含めた里芋の栽培が盛で、主に京都方面に出荷されていた。この里芋も、平松家で代々種芋が引き継がれてきた芋の一つであった。

◆第二次世界大戦末期にゼロ戦のパイロットとして訓練を受けていたというご主人の平松重雄さんは、大の機械好き。特にヤンマーがお気に入りでディーゼルトラクターが発売されるとすぐに購入し大事に手入れをして使っていた。重雄さんの父親は肉牛の肥育に情熱を注いだ人物で、農業に取り組むさかゑさんにとっては力強い存在でもあった。

◆昭和40年代から水稲の機械化に伴う早場米の生産が盛んになるにつれて、次第に里芋の生産は下火になる。そして、約20年間続いた産地も消滅していった。

◆さかゑさんは、その後、職業婦人として鉄工所での仕事をしながらも、水稲や陸稲などのほかナシや柿などの果樹栽培を含め、農業にも精通し、現在も畑作りが生きがいの一つ。当時から畑ノートを記録するほどの研究者顔負けの一面も併せ持つ。

◆商用栽培がされなくなってからもうすぐ50年になる。その間、それまでに作った里芋の中でさかゑさんが一番美味しいと思う里芋を一時も絶やさず自家消費用として栽培し現在まで作り続けてきた。

◆さかゑさんの里芋の作り方は至ってシンプル。農薬はほとんど使用せず、肥料をやりすぎず小芋がたくさんつくような栽培方法だ。そうして作ったさかゑさんの里芋には独特の味わいが生まれる。

◆「きぬかつぎ」という蒸してから手で皮を剥いて食べる方法が現代の時短料理への需要と相まってイチオシの食べ方だ。

◆筆者の故郷秋田の郷土料理芋煮(いものこ汁)にこの芋を使うとこの芋独特の粘りと絹のような滑らかな舌触りは秋田の食通も唸らせる美味しさだ。

◆この里芋の美味しさに注目したのが、大阪新地にある「カハラ」の店主、森義文さん。森さんのリクエストに応えるかたちで2016年に試験販売を開始し、本格的に商用販売を始めたのが2017年秋のこと。ジャグロンズによって40数年ぶりの商用生産が再スタートしたのだ。

◆これはなんの品種なんだろう。当初は里芋としかわからなかったさかえさんの里芋。筆者は「サカエ1950」と命名し、さかゑさんの協力を得ながら量産化に着手した。後に、さかゑさんの「畑ノート」の記録から、海老芋系の品種であることが判明する。

※1 1番手は「益荒男ほうれん草」 2番手はえだまめ「月兎豆」