☆年末年始の時間を捻出してDIYを慣行。1月7日にやっとほぼ完成(85%)した。今回は、小出しに5日までの進展状況を公表する。
◆この角度は外観イメージ(↓)
◆この部分は凝ってしまった(↓)。

◆内側の構造はこんな感じ(↓)。

◆これからここに2枚の引き戸がつく(↓)。

☆年末年始の時間を捻出してDIYを慣行。1月7日にやっとほぼ完成(85%)した。今回は、小出しに5日までの進展状況を公表する。
◆この角度は外観イメージ(↓)
◆この部分は凝ってしまった(↓)。

◆内側の構造はこんな感じ(↓)。

◆これからここに2枚の引き戸がつく(↓)。


◆昨年は、本格的にブログ執筆を再開した年でした。
◆ブログの読者からは思いがけないお便りを頂いたりと、改めて、情報発信の意義を感じた年となりました。
◆今年も、写真と文章の2本立てで、ジャグロンズの「農」の現場からワクワク感を楽しんでもらえるような情報発信を続けたいと思います。
◆皆様、今年もどうか宜しくお願いいたします。 Jagrons 藤原隆広
★ジャグロンズのオリジナルブランド野菜シリーズ(※1)の3番手えび芋系サトイモ「サカエ1950」。
★このブランドが生まれるにあたってモデルになった人物がいる。
★それは、現在の安濃津農園の地主でもある津市分部(広永地区)の平松さかゑさんだ。
★今回は、「サカエ1950」にまつわる話と、その時代に関するいくつかの話題を取材した。
◆戦時中に入学した旧制中学校(現津高等学校)では、ほとんど授業がなくても、卒業を迎えてしまったというさかえさんが平松家に嫁いだのは昭和25年(当時17歳)のこと。
◆津市広永地区の平松家。さかゑさんは14代目にあたり、昭和の文化人で実業家でもある川喜田半泥子の戦時中の疎開先としての歴史をもつ。
◆この地区では、当時ズイキを含めた里芋の栽培が盛で、主に京都方面に出荷されていた。この里芋も、平松家で代々種芋が引き継がれてきた芋の一つであった。
◆第二次世界大戦末期にゼロ戦のパイロットとして訓練を受けていたというご主人の平松重雄さんは、大の機械好き。特にヤンマーがお気に入りでディーゼルトラクターが発売されるとすぐに購入し大事に手入れをして使っていた。重雄さんの父親は肉牛の肥育に情熱を注いだ人物で、農業に取り組むさかゑさんにとっては力強い存在でもあった。
◆昭和40年代から水稲の機械化に伴う早場米の生産が盛んになるにつれて、次第に里芋の生産は下火になる。そして、約20年間続いた産地も消滅していった。
◆さかゑさんは、その後、職業婦人として鉄工所での仕事をしながらも、水稲や陸稲などのほかナシや柿などの果樹栽培を含め、農業にも精通し、現在も畑作りが生きがいの一つ。当時から畑ノートを記録するほどの研究者顔負けの一面も併せ持つ。
◆商用栽培がされなくなってからもうすぐ50年になる。その間、それまでに作った里芋の中でさかゑさんが一番美味しいと思う里芋を一時も絶やさず自家消費用として栽培し現在まで作り続けてきた。
◆さかゑさんの里芋の作り方は至ってシンプル。農薬はほとんど使用せず、肥料をやりすぎず小芋がたくさんつくような栽培方法だ。そうして作ったさかゑさんの里芋には独特の味わいが生まれる。
◆「きぬかつぎ」という蒸してから手で皮を剥いて食べる方法が現代の時短料理への需要と相まってイチオシの食べ方だ。
◆筆者の故郷秋田の郷土料理芋煮(いものこ汁)にこの芋を使うとこの芋独特の粘りと絹のような滑らかな舌触りは秋田の食通も唸らせる美味しさだ。
◆この里芋の美味しさに注目したのが、大阪新地にある「カハラ」の店主、森義文さん。森さんのリクエストに応えるかたちで2016年に試験販売を開始し、本格的に商用販売を始めたのが2017年秋のこと。ジャグロンズによって40数年ぶりの商用生産が再スタートしたのだ。
◆これはなんの品種なんだろう。当初は里芋としかわからなかったさかえさんの里芋。筆者は「サカエ1950」と命名し、さかゑさんの協力を得ながら量産化に着手した。後に、さかゑさんの「畑ノート」の記録から、海老芋系の品種であることが判明する。
※1 1番手は「益荒男ほうれん草」 2番手はえだまめ「月兎豆」







◆今日は、津市安濃町の学校給食へのほうれん草の納品日。今季2度目の納品日である。(前回はサトイモ サカエ1950(親芋)を納品)
◆津市安濃町は、安濃地区、村主地区、明合地区、草生地区の4つの地区からなっている。
◆早朝の30分間で、中学校、小学校、幼稚園あわせて9件分(配達場所は5箇所)の納品を済ませなければならない。
◆納品したほうれん草は昨日の夕方に収穫したぴちぴちのほうれん草。
◆ジャグロンズの給食用のほうれん草のブランドは、「安濃津ほうれん草」。
◆管理栄養士の先生が学校給食という教育の場で私たちのほうれん草を活用してくださることは、生産者冥利に尽きる。


●西高東低の気圧配置で、ここ三重県津市安濃町では雨が降らない日が続いている。
●この時期にしか出来ない作業がある、穴掘り工作作業である。
●今回の作戦のコードネームは「砂漠の狐」。
●「砂漠の狐」作戦の狙いはズバリ!!年内にイモ類の貯蔵庫を作ることだ。
●大きい穴は実は過去にも一度掘っている。そのときは手掘りだった。あの時は、サツマイモの貯蔵で4月まで芋を腐らせずに貯蔵することに成功したものの、設計の未熟さがたたって、梅雨時期から台風時期にかけて、穴に大量の水が流入し、地底湖と化してしまった。
●今回の穴は、優に前回の2.5倍はある。いい加減に出来上がってきている。この続きはまた改めて報告する。



●秋田の地方紙「秋田さきがけ新聞」のコラムで「元祖爆笑王」さん(以下、元爆さん)のコラムを読んだ。「質問攻めにホクホク」と題したコラムの内容は次の通り。
●元爆さんの母校、五城目第一中学校に講演に呼ばれたときの体験談。世代のギャップを気にしながら行った公演の後に臨んだ質疑応答に緊張したが、その場で、多くの生徒が自発的に質問してきて嬉しかった。質問をあらかじめ決めていたのですかとの問いに「いいえ」と答えてくれた校長先生の能代工業時代にバスケットボールの一流プレイヤーであったことなどの人となりを紹介したものだった。
●元爆さんは、生徒からの質問が多かった理由として、講演した中学校では、放送業界を志望する生徒が多いことを挙げていた。
●このコラムを読んでハッとした。昨年と今年、大曲農業高校のイベントで、何人かの生産者の一人として農業の魅力を語る機会があった際、元爆さんの講演のように、自発的な質問を受ける機会がなくがっかりした経験が脳裏に浮かんだ。元爆さんの見方を借りると、農業界を志望する生徒が少ないということになる。
●秋田では就職先としての農業分野への人気が極端に低い。と、先日お会いした秋田にある人材紹介会社の社長が言っていたことを思い出す。全国的に見れば、農業への人気はそんなに悪くないと感じていたので、多様性から見た秋田県内の農業活性が低いことが影響しているのかもしれない。
●いや、私たち農業生産に関わるものの責任も大いにあると考える。先輩方に遠慮して、じっとねばり強く言われたことをこつこつこなしてゆく。そんな農業現場に未来はない。自分で考え、そして自分の責任で実践し、失敗し、そしてそこから成功へのヒントを見つけてゆく。そうした行動力、たゆまぬ努力と工夫があって、明るい未来の農業を創ってゆけるのだと思う。
●来月12月は、約一週間の期間で三重県にあるファーム*ジャグロンズ安濃津農園に、秋田から高校2年生のインターン生を受け入れる。生き別れた私の長男と同じ年齢だ。次の世代に何を伝えられるのか。楽しみであり、責任の重さを感じる。
●インターン生の受け入れの際は、「今の自分」という「機関車」に、「過去の経験」という「燃料」を燃やして、「未来」という「目的地」に向かって進んでいる私の生き様の表現形としての仕事現場を肌で感じて、ワクワク感を体験してもらう。先ずは、8つの県を縦走する秋田・三重間のジャグロンズの「渡り」イベントからインターン実習を開始する。日本列島を俯瞰し、研修生自身の今と将来を考えるいい機会になれば幸いである。
◎ロックは人生の応援歌。幾度となく、背中を押され、元気付けられてきた。
◎僕が好きなのは、甲本ヒトロさん。
◎ブルーハーツ。ハイロウズ。そしてクロマニヨンズのボーカルとしてハスキーボイスは、いつも僕を元気付けてくれた。
◎僕の夢。それは、ジャグロンズをもっともっとBIGにして、甲本ヒロトさんにジャグロンズのテーマ曲を作ってもらうこと。
◎何とかならねーかな~。
