「研究現場と情報」

Unicode


◆94年4月―06年の3月まで農林水産省の研究者として野菜の栽培技術に関する研究に従事した。「論文執筆は研究者の最低限度の責務である」と上司から言われ、はじめの3年はプロの研究者への壁を乗り越えるための苦悩の日々を過ごした。そして12年間でトップネームで19本の原著論文を著すことができた。今回は研究現場と情報についての私の考えを述べたい。

◆私の研究スタイルは、まず過去に発表されている研究論文をレビューし、自分が取り組んでいる研究が新規性のあるものであることを宣言することから始まる。次に数値化した自然現象をグラフや表で表現し、その意味するところをわかりやすく表現する。過去に発表された論文等の内容を引用しながら新しく得られた結果の意味するところをあぶり出しにしていくことで研究はクライマックスを迎える。その過程を著したのが研究論文である。

◆研究とは「過去に発表された情報」と自らの手法を駆使して収集した「新しいデータに基づく情報」、この2つの種類の情報を融合させて1つの新しい情報を発信するものである。農学のなかでも自然科学に属する研究では自然現象を特殊なデバイス(装置)を用いてデータ化する方法が採用される。私はこれまで植物体内の水分環境の数値化のほか葉の光合成速度や蒸散速度、根の呼吸速度、植物体内の糖含量などを計測した経験がある。数値化された現象は公の知るところとなり、その情報は共有されるようになる。

◆「聞き耳ずきん」という昔話に出てくるおじいさんの「ずきん」は鳥たちの声を人の声に変換するデバイスである。研究現場ではまさに多くの「聞き耳ずきん」を駆使して自然界の作物の情報などを集めることで新しい情報が発信されている。日々刻々と状況が変化する現在、研究の対象は無限大で、どんな分野でも研究し尽くされたということはないというのが私の考えである。

◆さて農業の現場では技術という言葉がよく使われている。研究は論理(ロジック)であり、その考え方は理論(セオリー)で表されることがある。前者は科学的に間違いのないものであるが、後者の場合は少し違った意味合いを持つ。すなわちセオリーとは一般的にそう考えられているが確実に証明された訳ではないということだ。篤農技術とは、まさにセオリーであり必ずしもロジックなものとは限られない。そこで篤農技術に関して科学的にデータを取りその技術がロジックとして妥当なものか否かを評価することも研究者の仕事の一つである。

◆研究者から生産者に転向したときは、研究者としての経験から得られた知識を総動員してロジックな生産活動を行ってきた。すなわち、大きさや糖度など自分の思うがままのほうれん草をつくることができた。しかし、皮肉なものである。この10年近くの間に、すべての私の生産技術が「セオリー」になってしまったように思う。もう一度これまでの技術を数値化してロジックなものとして表現することが、アグロノミストとしての私の責務である。(電経新聞 Point of View 2016年6月27日号より)

★本文を執筆する機会を与えてくださった電経新聞 北島 圭 編集長に感謝します。(2017.4.27 藤原隆広)