●2006年、プロの研究者から、農業生産者に転身してはや10年、多くの失敗の連続だったが、すべてが自分の財産になって私の人間としての土台になっている。

●これまでの人生を振り返ると、私は学生時代に「農学部」で「農」を「学び」、サラリーマン時代は、「農業研究者」として「農」を「極め」、そしてこの10年は「生産者」として「農」を「磨いて」きた。4-12-10で通算26年、「農の現場」で生きてきた。いま出来ること、今しか出来ないことに一生懸命取り組んでゆきたい。

●藤原隆広には、7つの顔がある。ここ、数年私の関心事がブログ執筆から離れていたが、2017年春、スタイルを一新、この7つのカテゴリーに分けることで、これまでよりも判り易く、より多くの方々にジャグロンズ藤原隆広を知って頂く機会を作りたいと考えている。ここしばらくは、ブログ執筆という自己表現をとおして、「農の現場」のワクワク感を発信し、自らも楽しんでゆきたいと思う。

藤原隆広7カテゴリー

①農学者(Agronomist)

日本大学卒業(農学士)。千葉大学農学博士(論文博士)。野菜・茶業試験場、近畿中国四国農業研究センターを経て、生研機構フェロー。園芸学会賞(奨励賞)、根研究会賞(学術特別賞)受賞。専門分野は、セル成型苗育苗技術、生育斉一化技術、キャベツ生産機械化一貫体系、ホウレンソウ移植栽培技術

②随筆家(Esseyist)

研究所時代に身につけた随筆力を活かして、多くの文献を執筆。学術論文の他、農業技術紙(農耕と園芸連載記事)、新聞記事の連載(電経新聞)などを手がける。ジャグロンズの活動の中で生まれた新しい農業技術をデータにまとめて出版するのが現在の目標。また農業ベンチャーを起業した時の体験と気づきを世の中に残すべく随筆活動を続けている。

③起業家(Entrepreneur)

独自の農業技術の活用の場として、安濃津農園(三重県津市)、兎農園(秋田県美郷町)を開園。地域資源の有効活用と人材育成のための道場として農園を活用、地域の活性化に取り組む。2009年三重県ベンチャービジネススタートアップ事業採択。「益荒男ほうれん草」で「2012年三重のバイオトレジャー」選定。現在、秋田県の農業近代化事業に採択されたエダマメ生産出荷技術の最先端を走るべく、「兎農園」の生産部門を担う現地生産法人(株)ラビッド・ブラウンの代表としてエダマメビジネスに取り組んでいる。

④農業家・生産者(Producer)

起業一番、農産物の生産に取り組む。オリジナルブランド「益荒男ほうれん草」は出世作。「美郷のうさぎ」、「月兎豆」は、藤原隆広がプロデュースしたエダマメのヒットブランド。また、新作ブランド農産物「ピンクタイガー」(イチゴ)や「サカエ1950」(サトイモ)などの量産化にも取り組んでいる。現在は、農業ビジネスの仕組み、農業現場で活躍できる人材育成の仕組み作りが専らの関心事。

⑤弁士(Orator)

研究者と農業生産者、起業家の経験を踏まえた希有の体験と独特の視点から明るい未来に向けた提言を続けています。研究者としてのロジックな考え方、生産者としての自然の中で作物を作るおもしろさ、そして起業家としての数々のユニークな失敗経験は、きっと聴く人の記憶に残るはず。

⑥教育者(Educator,Instructor)

大学在籍中に社会教育法に準拠した博物館教育を受講、社会教育の何たるかを学ぶ。その経験を活かして、学校教育終了後の若い世代を対象に、自ら経営する農場を教育の現場(寺子屋形式の職業初等教育)として、特に学ぶ意識の高い若者をサポートしている。

⑦マニアック(Maniac)

「好きこそ物の上手なれ」。藤原隆広は良くも悪くも好奇心の塊。旧車(トラクター)、野菜移植機(センジュキヤノン)、金魚(観賞魚)、その他多くのカルチャーに心を奪われてきました。マニアックな人には、たまらない、ジャグロンズの世界を堪能ください。

◆プロフィール◆

1970年、秋田県生まれ。国の農業研究機関などでの研究を経て、2006年に津市で就農。翌年に、ジャパン・アグロノミスツ株式会社(通称:Jagrons)を立ち上げた。現在は、三重県津市と秋田県仙北郡で渡り鳥農業を実践。研究、生産、小売り、人材育成を一貫して行う農業組織の確立に情熱を燃やしている。

☆◆プロフィール2(マニアック編1970~1995)◆☆

自然豊かな秋田県美郷町(旧六郷町)で幼少期を過ごす。県立大曲高校時代に高校OBの生物学教師、今野郁 (コンノカオル)農学博士の授業に感銘を受け、陸上部で長距離走を走る傍ら生物室に通う。高校時代の思い出は、長距離走と生物学の二つだけ。高校卒業後、 代々木ゼミナール仙台校で1年間本腰を入れて勉強する。この間に66時間/1週間の勉強従事自己最高記録を記録するもその苦しみと非効率性を実感。当時の 代ゼミ校長で地球物理学者の竹内均博士の講演にあった「好きなことをして、そのことが人の役に立ち、経済的に成り立つこと」に感銘を受ける。受験した国立 大学理学部生物学科が不合格になるも、日本大学農獣医学部農学科(神奈川県藤沢市)に合格。大学時代は1年生後半から2年生の秋までの1年間、会長として 主に学生間の親睦と自主活動に取り組む農学研究会に没頭。文化祭では、商才を発揮し、自家栽培のサツマイモと独自開発のたれをつけたきりたんぽで2日間で 10万円を稼ぐも、打ち上げの1晩で使い果たす。文化祭での裏方生産班のストライキ(会長が土下座して謝ることで解決)は経営者としてのかけがえのない経 験になる。学業では湘南の自然豊かなキャンパスで各界で優秀な業績を挙げた教授陣の講義を受講。学部長賞受賞の学力は国家公務員Ⅰ種試験(農学)と秋田県 上級試験(農業)を突破。日本新党連立政権末期の平成6年春に農林水産省に入省。日本の野菜研究の総本山である野菜・茶業試験場への配属を任命され、野菜 の栽培技術開発研究の場でアグロノミストとしての第一歩を歩むこととなる。