■数年前にさかゑ姐さんから、1950年以降絶やさずに作り続けてきた平松家伝来の里芋の種を、ジャグロンズ藤原隆広が譲り受けました。
■そしてこれまでの自家消費から一歩踏み出して、プロの料理人の方へ提供するようになったとき、品質の評価や食材としての良しあしを教えていただいた料理工房「緑彩」の大将、伊藤良樹さん。
■昨日、現地仕入れのため、ファーム*ジャグロンズ「安濃津農園」改め「益荒男農園」に来園いただきました。
■伊藤さんから、高い評価をいただいているのが、品種「サカエ1950」の親芋ブランドである「蛙芋(かわずいも)」。今回の大将のお目当てもこれでした。
■緑彩の伊藤さんといえば、伝説の「益荒男ほうれん草の海鮮茶わん蒸し」の作者。以前ジャグロンズの、ネット上に画像が掲載されていましたが、HP移行の際の事故により画像が消えてしまいました。残念!!今度、伊藤さんにもう一度作ってもらえるようにお願いしてみます。お~、ルネッサンス!!
■そうだ、皆さん、この作品は、コース料理の一部なので、久しぶりに予約していってみたいと思います。伊藤さんの創る料理は、「繊細で美しく味わいのある大人の日本料理」。
■そろそろ私も大人の日本料理が似合う年になりましたので、今度食レポさせて頂きたいと思います。乞うご期待!!
◆ジャグロンズの里芋「サカエ1950」。今年の収穫は、12月上旬の2日間で一気に終了。
◆既に地下の貯蔵用恒温庫に埋蔵して、年明けから出荷する予定。
◆ご入用の方はお気軽にご連絡ください。

●携帯電話にショートメールで新年のあけおめメッセージが届きました。名前が分からなかったので連絡してみると、なんと懐かしい!!永井泰弘君!!大学時代の学友で現在は熊本県職員として活躍中の彼、永井君には15年以上前に仕事で熊本の天草半島に行ったときに大変お世話になりました。声を聞くのは5年以上ぶりでしたが、私の声を聞いて元気が出たと永井君。私も懐かしい声を聞いて嬉しさでいっぱいでした。ぜひ機会があったら、三重県の農園と秋田県の農園に遊びに来てください。
●さて、2020年が始まりました。農園を開設して農業生産事業を本格的に始めたのが2008年。ずっとほうれん草作りに邁進してきました。日本の緯度と標高を活用して一年中ほうれん草を作る夢は叶いませんでしたが、この12年間で、いろいろな進歩と私の中に強い思いがあることを再認識しました。
●ホウレンソウ、エダマメ、サトイモ、イチゴ、いろんな方とのご縁のなかで、ジャグロンズの栽培ノウハウとコンテンツは、この4つの作物を中心に蓄積しています。
●今年はビジネスとしてのジャグロンズの農業の完成に向けて邁進します。皆様、今年もご指導後鞭撻のほど宜しくお願いいたします。
★♂そのスペック圧倒的!!ありえないシュールなほうれん草、それが「益荒男ほうれん草」!!

★♂秋田県美郷町にあるファームジャグロンズ兎農園では、美味しさを保ちつつ10ヘクタール規模の生産を実現!!ほうれん草で果たせなかった夢をエダマメに託して邁進中!!

★♂私にはどうしても次の世代に残したい先人から引き継いだものが2つある。その一つがこのサトイモ「サカエ1950」。

★♂私が先人から引き継いだ次の世代に残したい2つめが、師匠、荒木誠(タカシ)さんから引き継いだイチゴの栽培哲学。これだけは現在生産休止中(選択と集中のため)だが、近い将来必ず復刻させる。
★上の写真はかつて私が実際に作ったイチゴ(品種:桃薫)、畑の宝石ピンクタイガー。桃の味がする大きな大きなピンクのイチゴだ。
★現在、イチゴ栽培の主流となっている普通の高設栽培では「美味しさ」と「大きさ」の両立はできない。話せば長くなるが、要するにこのイチゴは将に荒木師匠の栽培哲学を私が実践した成果なのだ。
★このコンテンツは、ルー大柴の言葉を借りれば、まさにNot「インフォメーション」But「インテリジェンス」!!わかる人にはわかっていただけると思いまする!!



◆2019年4月12日、スタッフ総出で里芋「サカエ1950」の植え付けを行った。
◆サカエ1950は、大阪の「カハラ」の森義文さんからの要望で生まれたジャグロンズの新しいブランド野菜。
◆「東の魯山人、西の半泥子」と呼ばれる食通の川喜多半泥子と所縁の深いサトイモであることから、東京の半泥子と所縁がある赤坂にある「東洋軒」でも利用頂いた。
◆東京や大阪だけではない、今年は、ほうれん草だけではなく、里芋も津市安濃町の学校給食や津市のフレンチレストラン「パルムドール」でも大量に利用頂いた。
◆また、貯蔵芋の時短料理の食材としての「さかえ姐さんのただ芋」としての新境地を開くことが出来、リテールパッケージ商品が、名古屋のサポーレの他、東京新宿の伊勢丹本店でも取り扱って頂いた。
◆来期は、より多くの皆さんにジャグロンズの里芋を楽しんでいただけるよう創意工夫を重ねてゆきたい。

■金曜日の開店から約4時間、サトイモ「さかえ姐さんのただ芋」の初めての店頭販売に挑戦した。ほうれん草は売り切れ状態のため今回はサトイモに専念することになった。
■お客さんに知ってもらいたいのは、この芋の持つ歴史と先人の想いを伝えること。このとき私は講談師になる。お客さんがいようがいまいが、淡々と朗々と話を続ける。そうするとなぜかお客さんが寄ってくる。
■「このお芋のお話をしているの?」、「はいそうです」。そして、小芋をふかした「きぬかつぎ」を食べてもらう。きめ細かい舌触り、そして粘りとコクがこの里芋の特徴だ。
■三重では、サトイモの事を「ただ芋」というんです。秋田では「いものこ」といいます。農園独自の地下貯蔵恒温庫で貯蔵することで、出荷前の機械洗浄に耐えうるように芋の表面を魚の干物のように硬化させるんです。これは、お客様が芋を洗わなくてもいいように、そして短時間で調理がすむことを目的に工夫したものです。具体的には15分から20分で料理できるようにしています。
■小さな芋は、ふかし器で蒸して15分で出来上がり。皮をむいて塩やしょうが醤油をつけて食べるのが「きぬかつぎ」。
■大きい芋も20分程度で、皮が簡単にむけます。それから、平行して準備をしていた「雑煮」や「いものこじる」にいれて、ハイ!!出来上がり。
■東京では、100g程度の大きさのいもの需要があるようだ。しかし、「さかえ姐さんのただ芋」の品種「サカエ1950」という芋の作り方は、小芋をたくさんつけるつくり方。大きい芋の割合は親芋を除けば2割程度だ。名古屋のお客さんは、小さい芋の楽しみ方もご存知のようだが、東京の皆さんにも知ってもらいたいと考えていた。
■あえて試食に用いた芋は、20g程度の小芋だ。これを見た、お客さんの一人が懐かしそうに語ってくれた。「亡くなった父親がいつも好んでそれを食べていたのよ」。「出身はどちらですか?」と私。「生まれも育ちも東京上野よ。」地元の方だ。「その一番小さいのがほしいわ。」、「今回は小さいのは試食限定で販売はしていないんですよ。」「そう、残念だわ。」そういって40gサイズの比較的小さい芋が入ったロットを購入していただいた。
■どうやら、小さい芋の需要もありそうだ。店長にお願いして次回からは、小さい芋のロットも少量入れて出荷させていただくことにした。
■作品(商品)の情報をお客様に伝えること。そして、お客様の反応も含めて、お客様の情報をいただくこと。これがジャグロンズのなすべき仕事だ。
■伊勢丹新宿店のスタッフの皆さん、今回も大変お世話になりました。今年は、えだまめ「月兎豆」の店頭販売にも「日帰り」で挑戦したいと考えています。よろしくお願いします。(秋田の日帰り、出来るかな~?)




☆年末年始の時間を捻出してDIYを慣行。1月7日にやっとほぼ完成(85%)した。今回は、小出しに5日までの進展状況を公表する。
◆この角度は外観イメージ(↓)
◆この部分は凝ってしまった(↓)。

◆内側の構造はこんな感じ(↓)。

◆これからここに2枚の引き戸がつく(↓)。

◆着々と進行。これは1週間前の状態(↓)。

◆パイプだけではぐらついていたが、横の壁をすえつけることで、磐石の強度を得た。左右に押してもまったく動じない(↓)。

◆水分による木材の強度低下を懸念して、外壁にPO防水フィルムを貼り付ける(↓)。

★ジャグロンズのオリジナルブランド野菜シリーズ(※1)の3番手えび芋系サトイモ「サカエ1950」。
★このブランドが生まれるにあたってモデルになった人物がいる。
★それは、現在の安濃津農園の地主でもある津市分部(広永地区)の平松さかゑさんだ。
★今回は、「サカエ1950」にまつわる話と、その時代に関するいくつかの話題を取材した。
◆戦時中に入学した旧制中学校(現津高等学校)では、ほとんど授業がなくても、卒業を迎えてしまったというさかえさんが平松家に嫁いだのは昭和25年(当時17歳)のこと。
◆津市広永地区の平松家。さかゑさんは14代目にあたり、昭和の文化人で実業家でもある川喜田半泥子の戦時中の疎開先としての歴史をもつ。
◆この地区では、当時ズイキを含めた里芋の栽培が盛で、主に京都方面に出荷されていた。この里芋も、平松家で代々種芋が引き継がれてきた芋の一つであった。
◆第二次世界大戦末期にゼロ戦のパイロットとして訓練を受けていたというご主人の平松重雄さんは、大の機械好き。特にヤンマーがお気に入りでディーゼルトラクターが発売されるとすぐに購入し大事に手入れをして使っていた。重雄さんの父親は肉牛の肥育に情熱を注いだ人物で、農業に取り組むさかゑさんにとっては力強い存在でもあった。
◆昭和40年代から水稲の機械化に伴う早場米の生産が盛んになるにつれて、次第に里芋の生産は下火になる。そして、約20年間続いた産地も消滅していった。
◆さかゑさんは、その後、職業婦人として鉄工所での仕事をしながらも、水稲や陸稲などのほかナシや柿などの果樹栽培を含め、農業にも精通し、現在も畑作りが生きがいの一つ。当時から畑ノートを記録するほどの研究者顔負けの一面も併せ持つ。
◆商用栽培がされなくなってからもうすぐ50年になる。その間、それまでに作った里芋の中でさかゑさんが一番美味しいと思う里芋を一時も絶やさず自家消費用として栽培し現在まで作り続けてきた。
◆さかゑさんの里芋の作り方は至ってシンプル。農薬はほとんど使用せず、肥料をやりすぎず小芋がたくさんつくような栽培方法だ。そうして作ったさかゑさんの里芋には独特の味わいが生まれる。
◆「きぬかつぎ」という蒸してから手で皮を剥いて食べる方法が現代の時短料理への需要と相まってイチオシの食べ方だ。
◆筆者の故郷秋田の郷土料理芋煮(いものこ汁)にこの芋を使うとこの芋独特の粘りと絹のような滑らかな舌触りは秋田の食通も唸らせる美味しさだ。
◆この里芋の美味しさに注目したのが、大阪新地にある「カハラ」の店主、森義文さん。森さんのリクエストに応えるかたちで2016年に試験販売を開始し、本格的に商用販売を始めたのが2017年秋のこと。ジャグロンズによって40数年ぶりの商用生産が再スタートしたのだ。
◆これはなんの品種なんだろう。当初は里芋としかわからなかったさかえさんの里芋。筆者は「サカエ1950」と命名し、さかゑさんの協力を得ながら量産化に着手した。後に、さかゑさんの「畑ノート」の記録から、海老芋系の品種であることが判明する。
※1 1番手は「益荒男ほうれん草」 2番手はえだまめ「月兎豆」











