◆今、私の脳裏には、アバの「ダンシングクイーン」が流れている。https://music.youtube.com/watch?v=YkLLcIKhJ64&list=RDAMPLOLAK5uy_lgRj4u6nBSxlERBCGaZgRVnwv1bCHcATM

◆人生は摩訶不思議。大曲でエダマメを作るなんて事は想像だにできなかった。生まれた秋田県美郷町から1000km離れた三重県津市でほうれん草を作っていようとはさらに想像だにできなかった。

★先日、地元の長老に、どうしたら地元の活性化が出来るかと問いかけられた。私は、北海道富良野の事例をあげた上で、よそから定住する人の居住区を作ったら面白いのではないかと提案した。

★「だいぶ昔」「あなたは地元の人ではないから」と美郷町内の農家の人に言われて複雑な気持ちを経験したことを思い出したのだ。地元の人だからとか地元の人でないからとかの「物差し」で見ることが何の意味があるのか?この先どうなるべきか?それには何をすべきなのか?それが大事ではないのか。

★何かすごく大事なものが、従来のものに触れることで消えてゆく。すごくもったいないものが消えてゆく。それを防ぐには一定の距離をとって「旧」と「新」、「老」と「若」、「地元の人」と「移住の人」がそれぞれの立場から核となるポリシーを熟成、確立すること。まず第一にそれが重要だと考える。それが出来たら、次にそれらを融合する。ヘーゲルの弁証法からすると、それらは1次元高いより理想の姿に変わることになるだろう。

☆「農業は地元の人が守る。」そんなことが今の常識の世の中だが、将来何が起こるかわからない。秋田で活気のある商用施設「イオン」や「セブンイレブン」、前者は三重県四日市発祥、後者は東京台東区千住が発祥の地として知られている。

☆「オールをもって船を前に漕ぎ出せ、主体的に生きよ、さすれば大きな潮流に飲み込まれて行き着いた先がどこであれそれは運命の目的地なのだ。」「もし何もせずに受身で生きてしまったら、行き着いた先に不平不満を持ってしまうことだろう。」

☆若い人もそうでない人も、よその人も地元の人も一生懸命自分のオールを漕いで生きよう。そうすればどこでどうなろうが行き着いた先は満足の行く目的地になるはずだ。そんな心境で49歳を目の前にし農繁期を過ごしている客観的に見たら「オヤジ」の独り言でした。

☆↑今年から新しく土地を提供していただいた大仙市下深井の蛭川新義さん(右)とお母さん(左)

◆自分で決めて、自分で実行して、そして考える。本当にこのやり方でよかったのか?あ~失敗した。自問自答の毎日だ。

◆自然は、思い通りにはいかない。しかし、波乗りのように自然を乗りこなせば、エキサイティングを味わうことが出来る。

◆農業の現場には、常に「ムリ、ムダ、ムラ」の3つが潜んでいる。油断するとすぐに、「足を滑らせて」しまう。

★私の実践する農業には完成形がない。常に失敗と背中合わせで進化し続けるのが私の農業。

★私のような凝り性の人間にとっては、奥が深い遣り甲斐のある仕事でもある。

☆さて、この時期の私の農業スタイルは、「早起き鳥農業」(朝4時~7時)と「ミミズク農業」(夕方4時~7時)のコンビネーションで構成されている。

☆ブログの更新間隔が3週間ほどあいてしまったが、。実は、「農業実践」とブログ執筆による「情報発信」は、私にとって「2足のわらじ」。

☆早起き鳥農業が始まってから、夜の情報発信は睡眠時間を極端に減らしてしまうため、控えていたのだ。

☆しかし、現場では発信したいネタがどんどんたまるのに、発信できない状況もなんだか自分らしくない。ということで明日の「早起き鳥」は、やめにして、今日はブログの更新をした次第である。

★「これでいいのか?」は、主体的に自分に問いかけることが出来ればそのときの失敗は必ず成功の肥やしになる。「これでいいのだ!」。それが「シッパイマン」の真髄である。

※♂◆大仙市(だいせんし)の下深井エリアの一風景。カメラには収められなかったが、先日ここで「ダイセン」という野鳥がコンパニオン・バード(注1)としてやってきた。◆ダイセンはシギやチドリの仲間。ナチュラリストを目指していた大学1年のときに見て以来の珍しい鳥で、美郷町では一度も見たことのない鳥だ。◆やはり、大仙市だからダイセンがやってきたのか?(やばい、寝不足によりオヤジ脳進行中だ。)

※注1:トラクターで耕起しているときに後ろから後を付けてくる鳥のこと。土から掘り出された虫や小動物を捕まえるのが鳥たちの狙いだ。ムクドリやセグロセキレイなどは、白いワームをつまんで食べているし、カラスはカエルの他、ねずみまで捕まえて食べることもある。

※↑高橋さん(写真左)と粟津さん(写真右)、実は義兄弟。

◆ファーム*ジャグロンズ「兎農園」では、地域の方にも大変お世話になっている。

◆現在、「あったか山農産物直売所」の代表をされている高橋勝夫さんは、六郷東根小学校の先輩でもあり、農林水産省のOBでもある。

◆また、農林水産省関東農政局の課長さんをされて定年退職された高橋さんは「サクラマス」組(※)の先輩でもある。(※生まれたところ(川)から一度離れて、海で成長して、再度生まれた川に帰ってくる活き方をする人。厳密に言えば私は回遊魚的な生活をしているのでサクラマスとは言えないかもしれない。)

◆6月から高橋さんの紹介で、仕事を手伝いに来てくださっているのが、粟津晃成さん。元農研機構東北農業研究センター大仙研究拠点の総括作業長を経験されて退職された農場管理のスペシャリストだ。

◆多くの人と出会いながら、只今エダマメの植え付け作業真っ最中、残り10日間で残り2haの圃場の植え付け作業を終える予定だ。

※↑今回の圃場は、かなり強引な作業進行の元、粟津さんは始めてのスコッパー作業に挑戦中。

※↓「草」が完全に「腐」ってないので、かなり作業が難航中、これはスキーのスタイルで言えば「モーグル」状態。何とか、機体を制御しながら、無事作業を完了されました。粟津さんお疲れ様でした。

 

 

◆「おサルのヤン坊」足回りブレーキの不調(ブレーキパットの消耗)により、畝たてマルチ作業からの戦線離脱、控えに回ることになった。おサルのヤン坊についてはこちらをご覧ください→http://jagrons.com/2018/05/26/1309/

◆代わって2019年春、ジャグロンズの畝たてマルチ作業シーンに登場するのが「日ノ本C144」。ジャグロンズの畝たてマルチ専用トラクターとしては通算4号機となる。ニックネームはまだない。誰かいい名前付けて貰えませんか。ちなみに「C」は、コンドル(Condor)の頭文字のようだ。このまま読み解くとニックネームは「ハゲタカ」君になるのだろうか?なんかセンス悪いような気がする。

◆仮称:ハゲタカ君、彼は昨年の秋に、新潟県柏崎市のジャンクヤードから第2の人生(?)を送るために、秋田県の兎農園にやってきた。

◆「日ノ本」(東洋社)という会社は、まじめすぎて、いいもの(ロータリーのつくりや爪の角度など絶妙だ)、世界初の自動水平機構の開発(その後追随した、クボタのモンロー機構、ヤンマーのUFO機構に相当)など、いろいろな業績を残したにもかかわらず、ブランドイメージ戦略、販売戦略が他社よりも苦手だったようで、もうこの世の中にはないメーカーだ。

◆ものづくりに携わるものとして、学ぶことが多い歴史の事実だ。

◆さて、この「ヒノモトC144」の機体の特徴は、コンパクトな中に馬14頭分の十分なパワー(14馬力)を秘めた3気筒ディーセルエンジンを搭載。1980年~1985年に生産販売された4WD機構を備えたクラシックトラクターである。

◆出動開始に当たり、試運転したところ、エンジンの回転具合が芳しくない、エンジンの音がなんかおかしいのだ。ボンネットを開けてのぞいてみると、はは~~。

◆診断結果は、医学風に表現すると「動脈硬化による心不全」、すなわち「燃料ポンプの破損による1気筒の作動停止」。燃料タンクからエンジンまでの燃料輸送ホースが、経年劣化のため破損、3気筒でエンジンを回すのを、無理して2気筒で、回っていた。

◆早速、手持ちの燃料ホースを利用して回復の施術終了。本来あるべきエンジンサウンドが蘇った。その後順調に作動している。

◆以上、めでたしめでたし。それでは、今日は、この辺で、さようなら。

☆↑ボンネットを開けてみると、↓ゴムが破裂の状態。

☆↑3本のうちの一番左のピンクのホースが施術後の燃料ホース。

☆↑順調に作業が進んでいる。↓耕運爪は、この通りしっかりしたつくりだ。なお、畝立てマルチャー仕様では、爪はすべて内向きに付け替えて使用する(ここは重要な技術情報)。

☆↑圃場わきを走る奥羽本線

☆↓圃場よりも高い位置にある、老朽化した灌漑用のU字溝。

◆秋田県美郷町にある兎農園本部から、来るまで15分ほど、10kmほど離れた大仙市、奥羽本線の西側にその圃場はある。人によってはかなり離れているように思うだろうが、三重県まで1000km近く移動する私たちからすれば、かなり近い目と鼻の先だ。ここには、石のまったくない世界が広がっている。

◆重粘質土壌の圃場は一見、畑作には難易度の高い圃場のように見えるが、排水対策さえきちんと行えば、将来性のある圃場だと考え、3年前から、この地でエダマメの生産に着手(1.4haから)した。そして今年は、この地区の圃場面積を3ha程度まで拡大した。

◆田んぼは、漏水しないようにあぜ塗りを行うが、水田転換畑で園芸作物を作るには、圃場の周囲に溝(明渠)を掘り、地中に硬盤破壊のための弾丸暗渠をめぐらす。田んぼの構造を徹底的に「ぶっ壊す」ことが重要になる。

◆重粘質土壌の畑地化には、①額縁明渠用のユンボ、②弾丸暗渠用のサブソイラ、③作土層の乾燥を速めるプラウ、そして④それを速やかに破砕するバーティカルハロー。以上の4つのアイテムがほしいところだが、現状、私たちは①と②しか持ち合わせていない。なので今年は、天候を見ながら額縁明渠と弾丸暗渠を新天地の圃場に施術した。

◆写真は、今年から新しく耕作させていただく事になった圃場で、去年まで水稲が栽培されていた田んぼである(稲株が残っている)。30a区画×2枚。高低差がほとんどいないため、1枚に纏めることにした。額縁明渠は。深さ40センチm、幅30センチmの溝を総長300mほど掘って完成。

◆途中で長さが2m近くある巨大な木材が出土した。何だろうか?ネイチャーサーフィンを楽しむジャグロンズでは予期せぬことに出会うワクワクがある。

☆↑↓ここでも、ディッグマン伊東が大活躍!!

☆↑ここでロブスターのヤンの登場だ。↓後ろには、サブソイラーが装着されている。

☆↑↓発掘した巨木。

 

◆ジャグロンズブートキャンプでは朝5時から6時半までの90分間は、朝飯前の一仕事タイムだ。

◆平成最後の日である4月30日の朝飯前の一仕事は、畝たてマルチ作業。圃場の東にそびえる奥羽山脈にはまだ雪が残っているが、西の方角は私の母校である旧六郷東根小学校(今は廃校)のグランドの桜が満開だった。

◆畑の土のあんばいもよく、作業も順調にはかどった。

◆ふと今までになかった、たて看板に気がついた。近寄ってみると、歴史の説明書きだった。

◆なんと、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期に学童を動員して、この地にゼロ戦のための飛行場(200m×1500m)を作ったというのだ。しかし、実際に使用する前に連合軍に見つかりあえなくゼロ戦の発着は行われなかったようだ。

◆野球場の南側の一番緑色の濃いところ約1haは、私たちのエダマメ圃場である。すっぽりと飛行場跡に飲み込まれていることを知った。

◆エダマメを作っていた圃場がゼロ戦用の飛行場跡だったとは。。。歴史の真実を知った瞬間だった。

◆なんとなくすごしている身近な地域でも歴史上の大きな物語を秘めていることを知り、感慨深い思いでいっぱいになった。

★今日の朝はインドアの世界の話題から。

◆先日、身の回りを整理していたら現れたアップル社のマッキントシュパソコン1996年製。七色のロゴが懐かしい。

◆電源を入れてみたら、問題なく動く、オペレーションシステムはMacOS8.0だ。それまで漢字Talkという愛称だったOSがマックOSという名称に変わった最初のバージョンだ。ちなみに私がはじめてアップル使ったのはLC475という機種でOSは漢字Talk7搭載だった。

◆なつかしのスクリーンセーバーも入っている。ゲーム付だ。ちょっと屋根裏にあるオフィスの一角にゲームコーナーを作ってみた。頭の体操にピッたしだ。

☆↑モニターの中を魚たちが優雅に行きかう、画像の焼付け防止ソフト「スクリーンセーバー」。泡の出るぽこぽこという音やキューンという深海の臨場感漂うサウンドと共にアルファ波の出そうな環境をかもし出してくれる。

☆↑11種類のゲームソフトがついている。写真は「ソリティア」。私が好きなゲームは。「ルーフラット」と「ムーシュー」だ。

★さてと、これからアウトドアの世界へ仕事に出ることにしよう。

◆平成も最後になりました。今、秋田県でエダマメ生産活動真っ最中ですが、先日、ちょっとだけ三重県に帰ってきました。

◆今回は、秋田県美郷町で福祉の仕事に従事している石川さんと一緒に日野のトラック白鯨号(しろくじら号)でのクルージング。

◆石川さんは農業に興味があり、秋田の兎農園のエダマメ生産(海の家や、スキー場の様な季節的イベントです)では、仕事の合間をぬって、手伝いに来てもらってます。(以下、ヘルプマン石川)

◆今回の目的は、①伊勢神宮参拝、②三重の農場からのトラックとトラクター類の移動。

◆今季令和初となるエダマメ事業の成功を祈って伊勢神宮詣で。地元伊勢住民(アキさん)からの情報により、伊勢市役所での平成感謝の記帳により勾玉もゲット。

◆伊勢うどんの2件「ハシゴ」も遂行。赤福本店での赤福も食べて、三重県滞在時間19時間の強攻クルージングでした。

●最後に、平成天皇陛下、30年間お疲れ様でした。ありがとうございました。平成は象徴天皇としての天皇陛下と国民の信頼関係が構築された時代でした。

☆↑伊勢市役所の特設会場にて。↓勾玉は、土偶色の素焼きのものが入っていました。記念になりました。

☆↑伊勢神宮の外宮にて、巨木とヘルプマン石川。↓伊勢うどんのハシゴ、上は外宮の近くで食べた伊勢うどん。下は内宮の参道わきのお店で食べた伊勢うどん。

☆↓伊勢神宮内宮敷地内を流れる五十鈴川。コインを投げ入れないようにとの注意書きがあるので中を覗いてみると、、、確かに硬貨がピカピカ光って見える。ローマのトレビの泉と勘違いしたのであろうか?(そんなわけはない)。

※脱線するが、ローマのトレビの泉では後ろ向きにコインを投げ入れると願いがかなうという。コインの数が①1枚なら再びそこに戻ってこれる。②2枚なら大切な人と永遠に一緒にいれる。③3枚なら恋人や配偶者と別れることが出来る。ここ五十鈴川にコインを投げた人はどんな気持ちで投げたのだろうか?

☆↑赤福本店で。↓赤福本店の入り口は、つばめの子育ての場としても提供されていた。伊勢の町は、歴史的に遠路はるばる訪ねてきた、すべてのものを受け入れる「おもてなし」と「おかげ」の心で溢れている。

☆↑帰りの途中に立ち寄った石川県で。今回初めて石川県に立ち寄ったヘルプマン石川。これまで、日本では東京より西にいった経験がないとのこと(高校の卒業旅行は中国(not岡山・広島but外国)だったそうです)。また、ドライブが好きなのでぜひともということで、今回ジャグロンズの日本列島縦走に初参加してもらいました。

◆私の夏の活動拠点、秋田県美郷町六郷東根地区。おそらく、ここは世界有数の石あり地帯だ。

◆1896年の陸羽地震(M7.2)の震源地である六郷東根地区。

◆今もなお年間8mmずれているという活断層(逆断層)以西に広がる扇状地の扇頂から扇央にかけては、太古の昔に川が流れて、形成された地形だ。石はいずれも角が取れた漬物石にちょうどいい大きさの硬い石がごろごろ出てくる。

◆これまでの石に対する一般的な対処方法は、①ストーンピッカーで取り除く方法、②ストーンクラッシャーで砕石する方法、以上の2通りのいずれかの方法が考えられた。

◆ストーンピッカーで取り除く方法の長所は、石を畑から完全に除去できること。一方の短所は、土の量が減ってしまうことだ。

◆もう一つのストーンクラッシャーで砕石する方法は、長所は土の量が減らないこと、短所は巨大なトラクターとかなり高価な作業機が必要なことだ。

◆ストーンクラッシャーを用いる方法については、実際の用いた現場の声を聞くことが出来たので紹介したい。「細かくなった石は、雨が降って固まると、土が締まって耕起するのも難しいくらいにがちがちになってしまう」ということ。石の比率が高い圃場は、どうしてもこのようにがちがちになってしまうようだ。

◆ストーンクラッシャー自身はもともと、土建会社などが、アスファルトやコンクリートの再生で用いるもので、固定式で利用されてきた。それをトラクターでやろうとするのが最近の新しいやり方だ。しかし、すべての石を砕石して土に返すということ自体、問題のある方法である。

◆このような現状を鑑みると、一定以上の大きさの石は、ストーンピッカーで取り除くことが賢明であると考える。その上で、小さめの石は、ストーンクラッシャーで砕石する。

◆ストーンピッカーで集めた石は、土建会社の固定式のストーンピッカーで砕石した後に道路やコンクリートの基材として採用すれば、より役に立つ資源になる。

◆大きい石は闇雲に砕石して土に混ぜるだけでなく積極的に採取して、別の現場で有効活用する。そうして残された、小さい石のみトラクターのストーンクラッシャで砕石して土に返す。これが、私の考える最善の策だ。

◆ゴロゴロ、ゴロゴロ、ゴーロゴロ!!

◆今日のお仕事朝六時、古い巨木の切り株引きぬいた。

◆帰りの畑で石集め。集めた石は、アプローチアングルへガラガラドーン。

◆今日もやったぜ石集め。